今日の日経に載っていました。
日本の中学3年生の英語力が国の目標に遠いそうです。
正直なところ、私たちが受けてきた英語教育は文法や読解はしっかりあったと思いますが、話す練習やディベートはほとんどありませんでした。
うちの高校では、長期休みにはマザーテレサの本を全訳するとか、そんな宿題が出ていました。
おかげで単語や読む力がつくので、受験にも役立ったと思います。
ここで英語が好きだったら、会話のほうにも興味が行くのですが、本の箱の中の世界だけで終わってしまうと、コミュニケーションの手段としての英語の位置づけは低いものになると思います。
私の高校には外国人の先生はいなかったので、実践で英語を使うことはありませんでした。
でも、私が昔から英語はコミュニケーションの手段と思えたのは、学校の英語の先生、特に最初に触れた中学1年の英語の先生によるところが大きいと思います。
その先生が、英語の世界を愛していて、ビートルズが大好きだったと記憶しています。
授業中もその話になると目をうっとりさせていて、なんだか英語ってワクワクなんだな、世界が広がるんだなって、私はその頃明確に思っていたわけではありませんが、感じていたのだと思います。
だから、高校に入って、文法も突然難しくなり、受験英語が入ってきて、夏休みにマザーテレサ全訳の宿題ってなったときも、根底に「英語ってワクワク」という漠然とした感覚があったので、楽しく取り組めました。
中学、高校とくに低年齢のうちに、英語ってワクワク、英語で世界の人と繋がれるという感覚を生徒が持てるか、そこがとても大事だと思います。
ディベートのクラスなんて私の時にはなかったけど、ぜひ入れたほうがいいと思います。小学生から。
自分の意見を持つって、英語以上に大切だと思うから。