This is Haru.
目標を高く持つことは、大切です。
低すぎる目標設定をしてしまうと、せっかくの伸びしろも殺してしまうかもしれませんから。
The sky is the limit. 元気のでることばです。
(Hakata Cross You の教室のどこかに書かれています。よかったら探してみてくださいね。)
しかし一方で、たとえば英語を実際的に学んでゆくときは、実際的な目標設定をすることも絶対に必要です。
楽しく不自由なく海外旅行したい人の英語と、国際的な弁護士が日々つかう英語。
・・・必要な語彙も、求められる厳密さも違うでしょう。
イギリスでシェイクスピア劇の舞台に立ちたい人の英語と、インドで現地のひとと丁々発止のビジネスするときの英語。
・・・きっと別物ですよね。
ちょっと立ち止まって、自分に必要な英語を冷静な目で分析してみるのも、大切だと思います。
その際にお勧めなのは、
《英語ネイティヴの英語》 を目指すのか、
《世界の共通語としての英語》 を目指すのか、
という視点です。
もちろん、ネイティヴのようなきれいな発音で、文法は完璧、気の利いた言い回しもばっちりだし、微妙なニュアンスの使い分けもお手の物・・・なのは、すばらしい。
でも、そこまでの必要に迫られていない段階なのに、もしも、細かな部分に無駄な労力を費やしているとしたら、それはもったいないことです。
《世界の共通語としての英語》は、もちょっと気楽です。
たとえばドイツ。
英語が当たり前のように通じる国のように言われるのを、しばしば耳にします。
実際、私が訪ねたことのあるベルリンに関して言えば、英語だけでもまったく不自由ありませんでした。
ただし。
流暢なカッコいい英語、ばかりではありません。
「アタシの英語、ゼンゼンだめなのヨ、ゴメンなサイね!」
“Sorry” を連発して汗をかきかき、私の質問に答えて近所のDYI ショップを教えてくれた小さなホテルのレセプションの女性。
よどみこそないものの、とつとつとした口調と、(どことはいえないけれど)ネイティヴとは明らかに違うイントネーションで語っていらした老言語学者の英語。
ハリウッド映画で耳にする英語とは、かなり違う。けれど、そういう 「不完全な」 英語をしゃべる人たちが(英語と親戚の)ドイツ語圏でも、それぞれに英語と格闘(?)したり折り合いをつけたりしている様子が垣間見られて頬が緩みました。
中国の地方都市の素敵なレストランで、(日本人が珍しかったのか)わざわざ私のテーブルまで挨拶にきてくれた若くてスタイリッシュな女性マネージャー。彼女の抑揚の効いた、Rのきつい英語。
音の区切りが全くつかめない怒涛の巻き舌に必死でついてゆこうとする私に余裕の顔で(そしてやっぱりキツーイ現地なまりで)、「大丈夫、君の英語も結構、イケてるよ」 と太鼓判を押してくれたパキスタン人のドライバー紳士。
そういう 「不完全な」 英語をしゃべる者どうしでコミュニケーションを持って、なんともいえない楽しみと連帯感を味わえるのは、英語修得者ではなく英語学習途上の私たちならではの特権かもしれません。
さぁ新年。
やる気に満ち満ちた人も、ちょっとお疲れの人も、気持ちを新たに今年も英語の大海に乗り出してゆきましょう。いつか出会えるはずの世界中の「同級生」たちと笑ってお喋りできる日を楽しみに・・・!
コメント
Haru先生、ほんとそれこそ英語の醍醐味ですよね。
世界共通語の英語を身につければ、世界はもっと楽しくなりますね。
英語が目的ではなく、手段になったときこそ楽しい、そんなことを生徒さんに伝えられたらいいなあと思います。Aki